江ノ島/江島神社 第4回 稚児ケ淵、岩屋
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第4回 稚児ケ淵、岩屋
(ちごがふち)
1450年ものいにしえ、古墳時代に霊場江ノ島が始まった場所。552年(欽明天皇13年)に欽明天皇がお告げにより神を祀り、平安時代となり814年(弘仁5年)弘法大師 空海が国家鎮守の祈願を行い、この岩屋に本宮を創建し金亀山与願寺となりました。
第4回 稚児ケ淵、岩屋
海、岩、風、圧倒的な迫力
いよいよハイライトです。永年の観光地化にもかかわらず、雑音を消去すれば稚児ケ淵や岩屋は霊場を感じさせてくれます。この付近には景観のよい食事処が数件ありますが、最も高い場所にあるのは魚見亭です。テラスになっている席はまさに絶壁に張り出しており稚児ケ淵と太平洋を一望することができます。
稚児ケ淵に至る急な階段を降りると石碑が6つ並んでいます。かつてここには龍燈の松といわれた名物の松があり、江戸時代は観光のポイントであったそうです。石碑は八雲庵碑、松尾芭蕉句碑、佐羽淡齊詩文碑、服部南郭詩碑、龍燈松碑です。
稚児ケ淵からは天気がよければ大島、伊豆半島、富士山が一望できます。幅50mほどの隆起海食台になっており、広大な海に囲まれた自然に圧倒されます。ここからさらに岩屋へと向かいます。
江ノ島霊場発祥の地である岩屋は1971年(昭和46年)に崩落事故があり、同年から1993年(平成5年)まで長年にわたり閉鎖されていました。そのため、その時期に育った筆者は子供の頃に入った記憶がありません。稚児ケ淵の近くには弁天橋行きの渡船乗り場があります。天候により休止されます。
岩屋は第一岩屋と第二岩屋にわかれており、稚児ケ淵から手前が第一、奥が第二です。海食崖基部の断層線沿いに侵蝕した海蝕洞群であり、遠く1450年前から聖地として宗教的な修業の場となってきました。
第一岩屋は全長152mあり奥において二手にわかれます。右手最奥部には552年(欽明天皇13年)に欽明天皇がお告げにより神を祀った場所があります。分かれ道の左手は富士に通ずるといい伝えられています。途中にある弘法大師像は鎌倉市手広の廃寺から運ばれたものです。
第二岩屋は全長112m。ふた手にわかれ、奥で繋がっています。最奥部に龍神信仰を象徴した龍神像があり、音響や照明といった遠慮してほしい演出がなされています。
(第5回「江ノ島 神仏の変遷、廃仏毀釈」に続く)
第1回江ノ電「江ノ島駅」~表参道~辺津宮
第2回中津宮
第3回奥津宮、山二つ
第4回稚児ケ淵、岩屋
第5回江ノ島 神仏の変遷、廃仏毀釈