常栄寺(ぼたもち寺)
目 次
常栄寺(ぼたもち寺)
(じょうえいじ)
一人の尼の信心が700年後のいまも生きる
1271年日蓮上人は幕府の武士や敵対する人々に捕らえられ、龍の口刑場にて処刑寸前の危機に遭います。刑場へと引き回される日蓮上人。最後の供養にとぼたもちを差し出した桟敷の尼の信心行が日蓮を救ったとして建てられたお寺さんです。
エリア大町・小町
住 所鎌倉市大町1-12-11
宗 派日蓮宗
本 尊三宝祖師
創 建1606年
開 山日詔上人
神奈川県鎌倉市大町1丁目12−11
妙本寺の手前右の小道を入ると、常栄寺(ぼたもち寺)があります。この小道は静かでよい道です。常栄寺を過ぎると八雲神社もあり、神社の裏からは祇園山ハイキングコースになっています。30分ほどで宝戒寺近くの北条高時腹切りやぐらに出られる、気軽なハイキングコースです。小道を抜けると、大町四角付近に出ます。
常栄寺は人の行いそのものが寺院となった日蓮宗のお寺さんです。法華経を唯一の教典とした日蓮上人は、浄土宗などの他宗を非難したため、幾多の迫害に遭いました。極めつけは1271年の龍の口法難です。幕府の武士数百人と日蓮上人と敵対する人々が日蓮上人をとらえ、腰越龍の口の刑場で処刑するという事態に陥ります。
引き回しの途中、常栄寺がある場所に住んでいた桟敷(さじき)の尼が最後のご供養にと胡麻のぼたもちを捧げました。結局日蓮上人は刑場へと連れて行かれましたが、死刑執行間際に突然光が飛び交い、荒しとともに武士の刀は折れ処刑は中止されたという伝説があります。
この奇跡はぼたもちに現された信心の力でもあるということで、常栄寺が建てられました。700年経った現在でも法難のあった9月12日には御法難会(ごほうなんえ)が行われ、常栄寺より片瀬龍口寺の祖師像に胡麻の餅が供えられます。
この桟敷の尼は、将軍宗尊親王の近臣、印東次郎左衛門尉祐信の妻で、夫婦とも日蓮上人に帰依入道していたそうです。桟敷の尼は88歳まで長生きし、逝去。法名を妙常日栄といい、常栄寺の名はここからとられました。夫婦の墓はいまでも境内にあり桟敷大明神として勧請されています。尼がぼたもちをささげた際に使用された木鉢がいまも常栄寺に保管されています。
ひとりの尼の信心が700年後のいまもお寺となって参拝客を集めている姿には、心が清々しくなります。こじんまりとした小さなお寺さんですから、近所を散策される際にはぜひ立ち寄ってみてください。
常栄寺(ぼたもち寺)の梅についてはこちら