2013年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 北東 北条義時の墓 「なかんづく鎌倉郡は、文治、右幕下(源頼朝)はじめて武館を構え、承久、義時朝臣天下を併呑す。武家においては、尤も吉土と謂うべきか。」 足利尊氏による室町幕府樹立宣言「建武式目」の冒頭です。
2013年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 日蓮袈裟掛の松跡 1271年9月12日、幕府に捕らえられ龍ノ口の刑場へとひかれて行く日蓮は、この地において、袈裟が血に染まるのは恐れ多いと近くにあった松の枝に掛けたといわれています。現在松はありませんが、石碑によってその姿を偲びます。
2013年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 北東 勝長寿院跡 源頼朝が父、源義朝の菩提を弔うため1184年に建立した大寺院。源氏の菩提寺であったためその姿は壮麗極まりなく、成朝(奈良仏師)に彫らせた金色の阿弥陀仏を本尊とし、藤原為久による浄土瑞相二十五菩薩壁画が描かれ、運慶による五大尊像も安置されていたといいます。
2013年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 和賀江嶋 和賀江島は、光明寺の少し先にあります。鎌倉の内港として栄え、往時には宋からの船も停泊しました。鎌倉市と逗子市の境界に位置し、200メートルに渡って巨石が積まれています。
2013年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 梶原景時屋敷跡 御霊神社に祀られる湘南地域を拓いた平安の武将、鎌倉権五郎景政の直径子孫が梶原景時。大庭氏はこの系統からわかれた同族です。頼朝の側近として活躍し5か国の守護に任じられ、侍所所司、厩別当などを務めました。和歌に通じ、教養深い人であったとされています。
2013年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 宇都宮辻子幕府跡 1180年、鎌倉へと入った源頼朝が大倉に幕府を開いてより45年後の1225年、宇都宮辻子のこの地に幕府が遷されました。
2013年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 北東 大江広元の墓(島津忠久、毛利季光の墓) 鎌倉幕府の基盤整備に多大な貢献を果たした貴族、大江広元の墓と伝わるやぐらがあります。階段を登るとまず大きな平場があり、ここは北条義時の墓があったといわれる場所です。平場の左手には北条氏によって滅ぼされた三浦泰村一族の墓があります。
2013年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 旧華頂宮邸 旧華頂宮邸は伏見宮博恭王の3男、華頂博信侯爵の邸宅として建てられた洋館です。1996年に鎌倉市が取得し、庭園として通常は外観のみ公開しています。
2013年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 安達盛長邸跡 父・源義朝が平清盛に敗れ、伊豆蛭ヶ小島に配流となり20年という長い年月を過ごした源頼朝。その間、物資の援助や交流を惜しまず京都の様子を伝えることにも尽力したのが頼朝の乳母だった比企尼でした。
2013年4月30日 / 最終更新日時 : 2020年12月11日 鎌倉タイム管理人 史跡 鎌倉市川喜多映画記念館 川喜多映画記念館に一歩足を踏み入れた瞬間、徹底的に映画への敬意と献身に貫かれた精神が空気となって伝わってきます。その刺激的な体験は、「現在の東宝東和という巨大な会社を創設した川喜多長政夫妻の記念館」として夫妻の邸宅を改築して開館し、その活動をつぶさに知る事ができるという知識的理解を超えていきます。