本瑞寺

(ほんずいじ)

源頼朝、三崎三御所の一つ「桜の御所」跡に建つお寺

平安以来の武家の名門、三浦一族の菩提寺であり、源頼朝が三崎に建てた三御所の一つ「桜の御所」跡といわれています。海に囲まれ温暖な三崎の小高い丘の上にあり、冬でも陽が射していれば暖かく感じるのどかな場所です。

エリア三浦市
住 所三浦市三崎1-19-1
宗 派曹洞宗
創 建1394年(応永元年)
開 基三浦氏
アクセス京急「三崎口駅」よりバス「三崎東岡」下車、徒歩5分

本瑞寺境内。小高い丘にあるため、背後は青い空。潮風香る穏やかな場所です。この地で催された源頼朝の観桜の宴はさぞ美しかったことでしょう。

本瑞寺境内。小高い丘にあるため、背後は青い空。潮風香る穏やかな場所です。この地で催された源頼朝の観桜の宴はさぞ美しかったことでしょう。

古来から愛された風光明媚の地、三崎

三浦半島の最西南端に位置する三崎は古来から知られた風光明媚の地です。平安以来、戦国時代に三浦義同が後北条氏に攻め滅ぼされるまで三浦一族が治めました。穏やかな海を眼前に気候は温暖、現在は多く埋め立てられてしまいましたが、設えられたかのように美しい海岸線もちょうど見桃寺の前あたりには残っています。

本瑞寺は後北条氏に攻められて滅亡した戦国初期の三浦氏の菩提寺(鎌倉にあったという)が、戦国初期の三浦氏の支城三崎城があったこの地に移ったものです。三浦一族は鎌倉時代の宝治合戦によって北条氏によりその多くが滅ぼされますが、南北朝期に再興。しかし、1516年(永正13年)またしても後北条氏の北条早雲によって攻め滅ぼされてしまいました。

単なる同姓とはいえ前後の北条氏に二度にわたり攻め滅ぼされたことになります。最後の当主、三浦義同(道寸)は新井城にて、弟の道香は現在の逗子市小坪にある住吉城において討たれました。

源頼朝と三崎の三御所

源頼朝はこの地に桜を植えて、城ヶ島に植えた桜と合わせて眺める観桜の宴を催しています。現在のように無粋な近代建築はありませんから、桜の花に囲まれ、海に浮かぶかのような城ヶ島の桜を遠望するその景色はさぞ絶景だったことでしょう。

源頼家実朝もこの地を訪れており、源氏三代に愛された桜の御所といえます。とはいえ第4代将軍藤原頼経時代、三浦の当主三浦義村は頼経と近かったといいますから、義村が頼経を招き垸飯を献上して宴を楽しんだであろうことは想像に難くありません。

鎌倉にある源頼朝の大倉御所から三崎へは国道134号を下り約28km。古書には海里6里とあります。歩いていくと朝出て夕方には到着する距離ですから、別荘としてはとても使い勝手がよかったでしょう。

源頼朝は三崎に3つの御所をつくったと伝わります。椿の御所、桃の御所、桜の御所の三御所です。三崎の三御所と呼ばれています。椿の御所は北条湾を挟んで大浦側にある現在、大椿寺となっている場所にあったといわれています。桃の御所は相模湾側、歌舞島と呼ばれた付近、現在の見桃寺にあたります。桜の御所はその中間、現在本瑞寺となっている場所にあったそうです。

『吾妻鏡』に登場する三崎御所

鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』にも三崎御所の記述が幾度もあらわれます。いくつか抜粋します。

1194年(建久5年)閏8月1日「頼朝は一条高能を伴って三浦に渡った。三崎の津に山荘を建てるためである。足利義兼北条時政以下多くの御家人が従い巷に溢れたという。頼家、政子、大姫らも追って訪れた。」

同年9月6日「頼朝は三浦三崎の別荘を訪れた。小笠懸の勝負が行われた。」

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