森戸大明神

(もりとだいみょうじん)

源頼朝の創建した神社

森戸大明神は葉山の総鎮守として800年以上の歴史を持っています。現存する源頼朝創建の数少ない神社の一つです。静かな葉山森戸の海沿い、少し海に突き出た部分にあり、抜群の眺望と雰囲気です。

エリア逗子・葉山
住 所三浦郡葉山町堀内1025
主祭神大山祇神(おおやまつみのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)
創 建12世紀後期
アクセスJR「逗子駅」もしくは京急「新逗子駅」よりパス、「森戸神社」下車すぐ
公式HPhttp://www.moritojinja.jp/index.html

森戸大明神の本殿。それにしても海岸沿いは落ち着きます。

森戸大明神の本殿。それにしても海岸沿いは落ち着きます。

風光明媚な景勝地であり、鎌倉幕府の重要な戦略地

鎌倉は三浦半島の根本あたりにありますから、葉山を含む三浦半島一帯は戦略上最も重要な地域でした。それとともに葉山は鎌倉の海岸線や江ノ島はもとより、相模湾越しに富士、箱根、伊豆の山々を一望できる風光明媚な景勝地として将軍家や御家人たちに愛されてきました。

鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』にも、流鏑馬(やぶさめ)、笠懸(かさがけ)、相撲(すもう)が杜戸(森戸)において盛んに催されたと記されています。ちなみに、葉山を含む三浦半島一帯は平安時代から挙兵以来の重要御家人であった三浦一族が支配しており、その足跡はいたるところに残され、森戸神社のある森戸一帯は三浦義明の六男、森戸重行が治めていました。

森戸大明神左手にある広場のあたりに源頼朝の葉山館があったといわれています。現在、森戸の海岸といえば神社右手の森戸海水浴場ですが、中世の記録に残る杜戸(森戸)の浜は、神社左手(西方裏手)でした。三浦一族の騎馬練武場や将軍遊覧時に武芸を披露したのも後者でした。

源頼朝が平氏打倒、内乱平定を感謝して建てたという良縁と史跡

葉山は三浦半島の北西にあり、森戸大明神は鎌倉駅や源頼朝の大倉御所から海岸線を下り約8kmです。社伝によると鎌倉入りした頼朝はすぐさまこの地に三嶋明神を勧請し、森戸大明神を創建したといいます。正確な年次はわかりませんが、頼朝が鎌倉入りしたのが1180年(治承4年)10月7日ですから、この直後ということになるでしょう。

なぜ三嶋明神かというと、同社は源頼朝と深いゆかりのある社だからです。奈良・平安の記録にも残る伊豆国一の宮、三嶋大社において伊豆配流中の源頼朝は源氏再興・平氏打倒を祈願しました。

1180年(治承4年)8月17日の源頼朝挙兵もまた、三嶋大社の大祭にまぎれて行われました。同社が国宝として保持する「梅蒔絵手箱及び内容品一具」は北条政子の奉納といわれており、源頼朝とゆかりの深い場所です。

神主は代々、刑部助物部の垣光の子孫(現在の守屋家)が務めており、例大祭は勧請の日とされる9月8日に行われます。永い歴史と特に武門からの厚い崇敬により社宝も多くあり、翁面、猿田彦面(運慶作)、平政子銘硯箱、小鼓(阿古作)、横笛(青葉の笛模作)、駒角、信国の短刀、後二条院院宣、後伏見院院宣等古文書などが所蔵されています。

「翁面」(葉山町指定文化財)は、森戸大明神を深く信仰する小浜(鐙摺港)の漁師の網にかかったといいます。これを護持した漁師は百歳を過ぎても病気一つせず若々しくおり、後に森戸大明神に奉納しました。

本殿は鎌倉時代に創建されました。現在の建物にも400年の歴史があり、葉山町の重要文化財に指定されています。本殿の裏手には千貫松(せんがんまつ)と飛柏槙(びびゃくしん)があります。いずれも源頼朝ゆかりの名所です。

千貫松は、1181年(養和元年)6月、源頼朝が三浦一族の居城であった衣笠城に向かう途中、杜戸(森戸)で休憩しました。その時岩上の松をみて「如何にも珍しい松」とほめたところ、出迎えた和田義盛が「千貫の価値ありとて、千貫松と呼びて候」と答えたという伝説の松です。
鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』、同年6月の記述をみると、19日に源頼朝が納涼のため三浦に渡り、三浦一族が接待したとあります、上総広常と葉山あたりで落ち合ったともありますから、この日のことではないかと思います。ちなみに、有名な上総広常下馬せずの記述もこの日のことです。

飛柏槙(びびゃくしん)は森戸大明神の御神木です。1184年(元暦元年)5月19日、源頼朝が参拝した時、三嶋明神の方角から種子が飛び来て発芽したと伝わります。森戸川が海に注ぐあたりの岸壁にはえており、できれば鳥居前からみそぎ橋を渡り、森戸海水浴場方面からもみてください。鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』、同日の記述は以下の様です。柏槙の話は登場しませんが、森戸を訪れたことが記されています。
「源頼朝は平頼盛、一条能保らを伴って海浜をめぐった。由比浦から御船に乗り、杜戸(森戸)の岸に着いた。御家人たちはそれぞれに舟を飾り、海路に棹をとり御船の前を競い合うようにした。その様子はまことに趣きあるものだった。杜戸(森戸)の松の下で小笠懸が催された。頼朝は「これが武士のならわしというもの。これを見ものとしなければ、他に見るものなどない」と仰った。頼盛や能保たちも大いに気に入ったという。」

どこか心に残る森戸大明神

残念ながら葉山もまた無残な開発が進んでいますが、森戸神社の境内はなんとか真っ当な姿を留めています。国道134号沿いの鳥居を入ると、2つ目の鳥居があり、いくつかの小さな社を経て本殿に至ります。眼前には相模湾が広がり、天候に恵まれれば富士山をみることができます。

海上には森戸神社の鳥居がみえます。鳥居の立っている小さな島は名島といい、かつて頼朝のみた頃には岩場でつながっていたそうです。名島と鳥居越しにみえる夕陽はかながわ景勝50選となっています。

卑近ながら筆者は鎌倉出身ながらそんな風情と源頼朝ゆかりの歴史が気に入って、ここで結婚式をしました。3月に行いましたが天候に恵まれ、何十年と見続けてきた相模湾越しの富士山の中でもピカ一のものでした。

少人数でしたので、宴会は近くの日影茶屋で美味しいものをいただきました。そういえば、日影茶屋のある鐙摺(あぶずり)は、源頼朝が鐙(あぶみ)を摺ったことから名付けられた地名です。また、源頼朝が鎌倉を見定めたという旗立山もあります。

七瀬祓

杜戸(森戸)は鎌倉を囲む7つの霊所である「七瀬」の一つです。鎌倉時代、この七瀬において除災、祈雨、治病などのお祓いが行われました。鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』には、源頼朝が生きていた時代には記述がありませんが、1224年(元仁元年)から幾度か登場します。「七瀬」とは由比ヶ浜、金洗沢、固瀬川、六浦、㹨川、杜戸、江島竜穴です。

近くの飲食店

近くにはいくつかおすすめのお店があります。一番近いのは魚料理の「魚佐」です。同店の契約駐車場が森戸神社にあるくらいです。行き始めた25年程前は地魚の料理をわりとリーズナブルな価格で食べられ、家族でよくいきました。最近は観光客受けするような品書きや料理となってちょっと残念ですが、いまでも十分美味しいです。

次は森戸大明神から逗子駅に向かって少し戻ります。葉山の元町交差点の手前、スターバックスの脇の道を右に入ります。少し川沿い歩くと右手にうなぎの「川正」があります。かなり風情のある家屋で営業しており、これが魅力的だったのですが最近キレイに改装されてしまいました。平日の昼間は確かランチをやっていたと思います。

さらに歩いて葉山マリーナ付近まで戻れば「しなそば小浜」があります。極細麺を使ったあっさり味のしなそばと餃子、チャーハンなどが食べられます。25年以上たまに足を運び続けています。近くの鐙摺港(あぶずりこう)は別名小浜と呼ばれますから、それが店名の由来でしょう。

しなそば小浜のほんの少し先には日影茶屋があります。老舗の料理屋さんですから、とても美味しいです。和菓子は食事処と別になっていて気軽に買えます。保存料を使わないこちらの和菓子は自家用にもお土産用にも活躍してくれます。
上記の飲食店は地図にマークしておきました。葉山には他にもいくつかおすすめのお店がありますが、いずれ別稿にて改めたいと思います。

森戸大明神フォトギャラリー

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