極楽寺坂を鎌倉駅方面に降りる途中、力餅家さんを左手に入ると御霊神社があります。江ノ電の線路がすぐ前を走るゆったりとした境内には、平安時代後期の武将、鎌倉権五郎景政(平景政)を主祭神に数々の小さな社があります。
小道をいくと江ノ電の踏切ごしに白い鳥居が見えてきます。
鎌倉景正は平安時代後期に活躍、現在の湘南地域一帯を領地として拓いた武将です。父である鎌倉権守景成の代に現在の鎌倉市周辺(相模国鎌倉)を領したことから鎌倉氏を名乗ったようです。
広々として閑静な境内。
源義家が奥州を平定した後三年の役(1083~1087年)に、初陣16歳で従軍した景政は、左眼を矢で射抜かれても屈することなく相手を打ち取りました。刺さった矢を抜こうとした三浦為継が景正の顔に足を掛けたとき、「弓矢に当たって死するは武士の本望が。なのに土足をもって面部を踏むとは何事ぞ」といってその非礼を刀を構えて叱咤した剛毅は歌舞伎にもうたわれ、鎌倉武士の誇りとなりました。
このような景正の逸話などから、除災招福、眼病平癒に御利益があるとされています。幕府の公式歴史書『吾妻鏡』にも幕府の崇敬を集めたことや、数々の不思議な現象が記されています。
鎌倉景正が弓を立てかけたと伝わる“景正弓立の松”。
力餅屋さんを曲がって細い道をいくと、江ノ電の小さな踏切と御霊神社の鳥居が同時に見えてきます。境内に入ると、それまでの細い道に反してゆったりと広い空間があらわれ、ゆったりとした気分になります。
御霊神社門前の小路。
入ってすぐ右手には社務所、左手に稲荷社、秋葉神社、旧御霊神社大鳥居、弓立の松などが並びます。
本殿のまわりにも多くの社があります。第六天社、地神社、石上神社、金比羅社、袂石、手玉石、祖霊社といったぐあいです。小道の奥にあるゆったりと閑静な佇まい、目の前を走る江ノ電、鎌倉を拓いた遠く平安時代との繋がりと魅力の尽きないお社です。
鳥居の左手にある社群。
一番左が稲荷社(おいなりさん)。作物の豊穣を護る宇迦之御魂神を祀ります。伏見稲荷が勧請されました。
おとなりは秋葉(あきは)神社。火防の神(火之迦具土)を祀ります。明治22年このあたり坂之下村に大きな火災が起き、甚大な被害がありました。これを契機に静岡の秋葉神社を勧請しました。
祭神である景正が手玉にとって、袂に入れたいう石。右の袂石は16貫/約60kg、左の手玉石は28貫/やく105kgあります。古来より石は神霊を宿すといわれます。景正の霊才を示したものでしょう。
祖霊社(それいしゃ)。日清、日露、第二次大戦における坂之下町の英霊を祀ります。
御嶽社(おんたけさん)。長野県にある御嶽神社の三神を祀ります。天地開闢、最初の天下造化を行った国常立尊(くにのとこたちのみこと)、日本の統治に力を尽くした大穴牟遅神(おおなむろのかみ)/大国主命(おおくにぬしのみこと)、国土経営の神、少名毘古那神(すくなひこなのかみ)の三神です。
なお、この社はもともと関東平氏の5家(鎌倉、梶原、村岡、長尾、大庭)を祀っていましたが、その後景政のみを祭神としました。関東平氏5家の名は源頼朝の蜂起から鎌倉時代に入っていく歴史の中に数々登場してきます。
あじさいの名所
御霊神社は、江ノ電が境内をかすめて走ります。もしかしたら正確には境内の中を走っているのかもしれません。そして、御霊神社のあじさいが線路沿いに咲くため、古刹、あじさい、江ノ電が同時に見られて、絵葉書のようです。たいてい6月に入ると見頃です。詳しくは下記リンクをご覧ください。
6月初旬にはあじさいが咲き始め、境内を江ノ電が走り抜けます。
〈関連ページ〉
鎌倉景政
御霊神社のあじさい
御霊神社フォトギャラリー
6月初旬にはあじさいが咲き始め、境内を江ノ電が走り抜けます。
御霊神社本殿。小道の奥にあるゆったりとした境内は鎌倉らしい雰囲気です。
小道をいくと江ノ電の踏切ごしに白い鳥居が見えてきます。
広々として閑静な境内。
御霊神社の椨(タブノキ)。源義家とともに後三年の役を戦った鎌倉権五郎景正を祀ります。
一番左が稲荷社(おいなりさん)。作物の豊穣を護る宇迦之御魂神を祀ります。伏見稲荷が勧請されました。
おとなりは秋葉(あきは)神社。火防の神(火之迦具土)を祀ります。明治22年このあたり坂之下村に大きな火災が起き、甚大な被害がありました。これを契機に静岡の秋葉神社を勧請しました。
鎌倉景正が弓を立てかけたと伝わる“景正弓立の松”。
本殿。奥行きがあり、なかなか立派です。
本殿の周辺も広々として気持ちのよい場所です。
本殿右手にも社が多くあります。
祭神である景正が手玉にとって、袂に入れたいう石。右の袂石は16貫/約60kg、左の手玉石は28貫/やく105kgあります。古来より石は神霊を宿すといわれます。景正の霊才を示したものでしょう。
祖霊社(それいしゃ)。日清、日露、第二次大戦における坂之下町の英霊を祀ります。
第六天社。神による天地開闢の後、第六代の神、面足尊(おもだるのみこと)と訶志古泥神(かしこねのかみ)を祀ります。
御嶽社(おんたけさん)。長野県にある御嶽神社の三神を祀ります。天地開闢、最初の天下造化を行った国常立尊(くにのとこたちのみこと)、日本の統治に力を尽くした大穴牟遅神(おおなむろのかみ)/大国主命(おおくにぬしのみこと)、国土経営の神、少名毘古那神(すくなひこなのかみ)の三神です。
地神社(ぢじんじゃ)。大地主神(おおとこぬしのかみ )を祀ります。農業、開墾、開拓の守護神です。
石上神社。醜く埋め立てられる前、海岸線はもっと御霊神社の近くにありました。そこにあった巨石によって舟の座礁が続いたため、その石を引き上げてその一部を祀ってあります。
金比羅社(こんぴらさま)。海上安全の守護神、金比羅様を祀ります。
神社の前は江ノ電の線路があります。
こんな感じで江ノ電がすべるように行き交います。昔の車両のようにかっこよくはありませんが、まだまだ風情があります。
鳥居の左手にある社群。
私の住む鈴鹿市に権五郎の池があります。この池の水目につけると目の病がなおると聞く。鎌倉権五郎が来たのかと思いますがどうでしょう。
コメントありがとうございます。鎌倉景政は伊勢神宮への寄進を行うなど崇敬が篤かったようですし、ゆかりの地もいくつかあると記憶しています。