御霊神社(鎌倉権五郎神社)

(ごりょうじんじゃ)

鎌倉を拓いた平安の武将

平安時代に鎌倉や湘南地域一帯を領地とした鎌倉権五郎景政を祭神とする神社です。鎌倉武士の鑑とされた剛毅、勇名な武将です。広く閑静な境内はいつ訪れてもほっとします。

エリア長谷・腰越
住 所鎌倉市坂ノ下4-9
主祭神鎌倉権五郎景政
創 建平安時代後期
アクセス江ノ電「長谷駅」下車、徒歩3分

御霊神社本殿。小道の奥にあるゆったりとした境内は鎌倉らしい雰囲気です。

御霊神社本殿。小道の奥にあるゆったりとした境内は鎌倉らしい雰囲気です。

極楽寺坂を鎌倉駅方面に降りる途中、力餅屋さんを左手に入ると御霊神社があります。江ノ電の線路がすぐ前を走るゆったりとした境内には、平安時代後期の武将、鎌倉権五郎景政(平景政)を主祭神に数々の小さな社があります。

鎌倉景正は平安時代後期に活躍、現在の湘南地域一帯を領地として拓いた武将です。父である鎌倉権守景成の代に現在の鎌倉市周辺(相模国鎌倉)を領したことから鎌倉氏を名乗ったようです。

源義家が奥州を平定した後三年の役(1083~1087年)に、初陣16歳で従軍した景政は、左眼を矢で射抜かれても屈することなく相手を打ち取りました。刺さった矢を抜こうとした三浦為継が景正の顔に足を掛けたとき、「弓矢に当たって死するは武士の本望が。なのに土足をもって面部を踏むとは何事ぞ」といってその非礼を刀を構えて叱咤した剛毅は歌舞伎にもうたわれ、鎌倉武士の誇りとなりました。

このような景正の逸話などから、除災招福、眼病平癒に御利益があるとされています。幕府の公式歴史書『吾妻鏡』にも幕府の崇敬を集めたことや、数々の不思議な現象が記されています。

力餅屋さんを曲がって細い道をいくと、江ノ電の小さな踏切と御霊神社の鳥居が同時に見えてきます。境内に入ると、それまでの細い道に反してゆったりと広い空間があらわれ、ゆったりとした気分になります。

入ってすぐ右手には社務所、左手に稲荷社、秋葉神社、旧御霊神社大鳥居、弓立の松などが並びます。

本殿のまわりにも多くの社があります。第六天社、地神社、石上神社、金比羅社、袂石、手玉石、祖霊社といったぐあいです。小道の奥にあるゆったりと閑静な佇まい、目の前を走る江ノ電、鎌倉を拓いた遠く平安時代との繋がりと魅力の尽きないお社です。

なお、この社はもともと関東平氏の5家(鎌倉、梶原、村岡、長尾、大庭)を祀っていましたが、その後景政のみを祭神としました。関東平氏5家の名は源頼朝の蜂起から鎌倉時代に入っていく歴史の中に数々登場してきます。

〈関連ページ〉
鎌倉景政
御霊神社のあじさい

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