鎌倉宮

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鎌倉宮

(かまくらぐう)

建武の中興に倒れた護良親王を想う明治天皇の強い意志によって創建

鎌倉幕府(武家政権)打倒に尽力し悲劇の最期を遂げた護良親王を祀ります。南朝の皇族や武将を祭神とする15の神社を創建され建武中興十五社の一つです。

エリア北東
住 所鎌倉市二階堂154
主祭神護良親王(もりながしんのう)
創 建1869年
公式HPhttp://www.kamakuraguu.jp/index.html
アクセス鎌倉駅下車、徒歩25分もしくはバス「大塔宮」下車すぐ

鳥居をくぐると広々とした空間があります。

鳥居をくぐると広々とした空間があります。

「武家の古都、鎌倉」のキャッチコピーで世界遺産を狙う鎌倉ですが、ここ鎌倉宮は、鎌倉幕府(武家政権)打倒に尽力し、悲劇の最期を遂げた護良親王を祀る神社です。

神奈川県鎌倉市二階堂154

建武の新政と倒幕の雄、護良親王

二階堂地域のメインはここ鎌倉宮と瑞泉寺です。地元では大塔宮と呼んでいましたが正式には鎌倉宮です。ウィキペディアでは大塔宮を「おおとうのみや」と書いていますのでそれが本当の読み方なのでしょうか、地元では「だいとうのみや」と呼んでいました。

鳥居の右側に鎌倉市指定天然記念物の招霊木(オガタマノキ)があります。中国原産のカラタネオガタマノキではなく、日本原産のオガタマノキです。

鳥居の右側に鎌倉市指定天然記念物の招霊木(オガタマノキ)があります。中国原産のカラタネオガタマノキではなく、日本原産のオガタマノキです。

南朝を正式なものと定めた明治天皇は倒幕の雄・護良親王の悲劇の死を悼み、親王が投獄された東光寺跡のこの地に神社を創建し、自ら鎌倉宮と名付けました。

後醍醐天皇の第三子として生まれた護良親王は、後醍醐天皇とともに倒幕に活躍しましたが、後醍醐天皇や足利尊氏と反目し後醍醐天皇の命により建武元年(1334年)捕らえら、鎌倉にいた尊氏の弟、足利直義に預けられます。そして翌建武2年(1335年)7月23日、現在鎌倉宮となっている場所にあった東光寺において殺害されます。

16枚菊の御紋をみると、身が引き締まります。本当、美しいです。

16枚菊の御紋をみると、身が引き締まります。本当、美しいです。

黄門様(水戸光圀)により編纂され1685年(貞享2年)に刊行された元祖鎌倉ガイド『新編鎌倉志』には以下のように書かれています。「東光寺舊跡 東光寺(とうくはうし)の舊跡は、大塔宮の土籠の前の畠(はたけ)也。醫王山(いわうざん)と號す。開山未考(未だ考せず)。『鎌倉大(をほ)日記』に、建武二年(1335年)七月二十三日、兵部卿宮、直義(ただよし)が爲(ため)に、東光寺に於て生害せらるとあり。『竺仙録』に、貞和三年(1347年)七月二十三日、日本國、相模州、鎌倉縣、東光禪寺住持比丘友桂、國朝の爲(ため)に寶塔を建立すとあり。『空華集』に、義堂、東光寺にて、大塔宮を弔(とむら)ふの詩あり。」

『新編鎌倉志』には大塔宮土籠として地図も掲載されています。そこには東光寺跡とも記されています。また、現在護良親王の墓となっている場所は当時から「大塔宮石塔」としてその墓所であり、付近は「理智光寺」というお寺であったことがわかります。

『新編鎌倉志』に掲載された大塔宮土籠(現在の鎌倉宮)。

『新編鎌倉志』に掲載された大塔宮土籠(現在の鎌倉宮)。

護良親王が幽閉された土牢。二段岩窟になっており、深さ約4メートル、広さは4メートル四方です。建武元年11月より翌2年7月23日迄の約9か月間、ここに幽閉されました。

護良親王が幽閉された土牢。二段岩窟になっており、深さ約4メートル、広さは4メートル四方です。建武元年11月より翌2年7月23日迄の約9か月間、ここに幽閉されました。

建武の新政と同じように、明治維新によって武家政権(江戸幕府)から政権を取り戻した明治天皇は、建武中興(建武の新政)を大変意義深いものとしてとらえ、南朝の皇族や武将を祭神とする15の神社を創建され建武中興十五社と呼ばれます。鎌倉宮の他、楠木正成を祀る神戸の湊川神社、後醍醐天皇を祀る奈良の吉野神宮などがあります。鎌倉にはこの他、倒幕に尽力した日野俊基を祀る源氏山の葛原岡神社などがあります。

鎌倉宮に参拝したら拝観料はかかってしまいますが、護良親王が幽閉され殺害された土牢や親王の首を置いたという首塚、宝物殿も見ておきたいところです。首塚があるあたりは楠の大木が茂る神苑となっていて紫陽花などもきれいですし、ベンチもありますからゆっくり森林浴も楽しめます。宝物殿には、東郷平八郎や乃木希典の書、護良親王像、護良親王一代記などが展示されています。

鎌倉宮は紅葉の名所でもあります。本殿奥の神苑が見所です。鎌倉宮の紅葉

静寂感漂う鎌倉宮の紅葉。ベンチに座ってゆっくり楽しみましょう。

静寂感漂う鎌倉宮の紅葉。ベンチに座ってゆっくり楽しみましょう。

鎌倉宮への道のりと寄り道

鎌倉宮に向かうルートはやはり徒歩がよいと思います。鶴岡八幡宮、横浜国大附属小を抜けて内側から行くルートと、金沢街道の雪ノ下交差点からまっすぐに歩くルートがあります。鎌倉宮を中心に散策される場合、荏柄天神社瑞泉寺頼朝の墓あたりがセットになると思います。これに昼食、小町通り見物などをあわせればたっぷり一日かかるでしょう。

鎌倉宮でもうひとつかかせないのが境内にある休憩所のお茶屋さん。ほぼ毎回ここに寄って、ビールやカップ酒をいただきます。おしるこやおでん、おうどんもあるので食事もとれます。神社やお寺のお茶屋さんは独特の雰囲気があってとても落ち着きます。参拝にはお酒がつきものということで寄らずにいられません。銭洗弁天や大仏、鎌倉宮などはこういったお茶屋さんがあるので、要チェックです。

外で昼食をとる場合、テイクアウトならドイツパンのベルグフェルド、一杯やりながらゆっくり食べるなら中華の大善(平成27年頃閉店)にいきます。ピゴの店というパン屋さんも昔確かガソリンスタンドがあった雪ノ下交差点付近にあります。

ベルグフェルドと大善は子供の頃から食べ慣れていていまだにいきます。ベルグフェルドのパンは余計な添加物を加えないからなのか、麦の香りがたまらない美味しいパンです。

大善に行くときはすわってまずビールです。ラーメン、カタヤキソバからカツ丼まであってボリュームもあります。雪ノ下交差点の近くには鎌倉ニュージャーマンの本店もあります。

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