目 次
〈巡礼〉鎌倉七福神めぐり
中世都市鎌倉の古刹に巡る七福神
七福神の御利益をテーマに鎌倉の古刹をめぐるのも楽し気でよいものです。三十三観音霊場と違って7つというのも一日でまわることができて便利。
- 見所
- 浄智寺(布袋尊)、鶴岡八幡宮(毘沙門天)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、本覚寺(恵比寿)、長谷寺(大黒天)、御霊神社(福禄寿)
- 道々の名所/寄り道処
- 東慶寺、甘露ノ井、建長寺、東勝寺橋、東勝寺跡、北条高時腹切りやぐら、土佐坊昌俊邸跡、日蓮辻説法跡、蛭子神社、夷堂橋、大巧寺、光則寺
- 順路
- 北鎌倉駅〜浄智寺〜鶴岡八幡宮〜宝戒寺〜妙隆寺〜本覚寺〜(江ノ電)鎌倉駅〜長谷寺〜御霊神社〜(江ノ電)長谷駅
- 各見所間の距離と所要時間
- 北鎌倉駅〜浄智寺:500m/6分
浄智寺〜鶴岡八幡宮(三ノ鳥居):1.7km/25分
鶴岡八幡宮(三ノ鳥居)〜宝戒寺:250m/3分
宝戒寺〜妙隆寺:400m/5分
妙隆寺〜本覚寺:350m/5分
本覚寺〜江ノ電鎌倉駅450m/6分
江ノ電鎌倉駅〜長谷駅:乗車6分
長谷駅〜御霊神社:350m/5分
御霊神社〜長谷寺:500m/6分
※各寺社の詳しい情報は以下のリンクからご覧ください。
浄智寺〜布袋尊/不老長寿
北鎌倉駅を降りたら上り電車ホーム側の出口から出ます。駅前の広場から街道沿いを左に進み、横須賀線の踏切が見えてきたら踏切の手前を右に入ると浄智寺の門が見えてきます。
浄智寺は鎌倉五山第4位の寺院としてかつては11の塔頭に総員500名を擁する大寺院でした。江戸時代までその規模を維持していたといわれています。参道の階段は鎌倉石(かつて藤沢市あたりで砕石された石。柔らかい特性があるそうです)で造られています。
布袋尊は本堂裏手の矢倉にありとても雰囲気があります。布袋尊は中国五大の時代に実在した禅僧といわれています。境内の奥、洞窟にあり、袋を背負わずに右手で前を指差しているのがとても愛らしい布袋様です。
浄智寺の花木は、春の梅やタチヒガン、あじさいも咲き、紅葉はとてもきれい。門前には甘露ノ井があります。江戸時代に徳川光圀らによって作られた新編鎌倉誌以降、観光名所となった名数、鎌倉十井(じっせい)の一つです。また、浄智寺は著名なフランス文学者で鎌倉に長く住んだ澁澤龍彦さんの墓所でもあります。
鶴岡八幡宮〜弁財天/芸能、海運
浄智寺から鶴岡八幡宮までは歩いて25分ほどです。横須賀線の踏切を越え、建長寺を左にみながら巨副呂坂を歩きます。北条泰時が開いた歴史的な道です。
芸術と冨を築く海運の神、七福神の中で唯一の女神。鎌倉国宝館に安置されています。鶴岡八幡宮は明治の廃仏毀釈までは神仏の双方が祀られており、800年を超える歴史において純粋な神社という現在の姿は明治以降の140年あまり。源頼朝が武家の都の中心として建立したのは神社、神宮寺の「鶴岡八幡宮寺」です。
花木については、大銀杏なきあと源平池の桜が最大の目玉。ソメイヨシノの少し前、2月下旬からは流鏑馬馬場にある河津桜や梅が咲きます。梅は舞殿手前、参道が交差する右手に2、3本、鎌倉国宝館前に1本あります。境内にある神苑牡丹園は2度の見頃があり、冬は正月〜2月下旬、春は4月〜5月中旬です。
宝戒寺〜毘沙門天/病魔退散
鶴岡八幡宮と宝戒寺はすぐ側にあります。鶴岡八幡宮三ノ鳥居の前を横切る横大路を浄明寺方面(北鎌倉と反対方向)に少し歩けば正面に宝戒寺が見えてきます。
毘沙門天は別名多聞天。仏法を守る四天王の一人、北方の守護神です。宝戒寺は東勝寺において自害した北条高時とその一族を弔うために後醍醐天皇の命を受けた足利尊氏が創建しました。鎌倉に二つある天台宗のお寺さんの一つです(もう一つは鎌倉最古の寺院、杉本寺)。
宝戒寺は別名萩寺といわれ、秋、境内を萩が埋め尽くす様は壮観です。門前後の参道は前が桜、後は梅となっています。春には数十本の梅が咲き、特に本堂前の枝垂梅は鎌倉随一です。受付背後の白梅は「想いのまま」と呼ばれ、白梅の中にきまぐれに桃色の花が咲きます。
妙隆寺〜寿老人/長寿
宝戒寺から車道に出たらすぐに左、小町大路を進みます。5分ほどで右手に妙隆寺が見えてきます。寿老人は池のほとりの小さなお堂にあります。欅一本造りの尊像は人々の安全と健康を守り長寿を司る福の神です。寿老人は中国の道教から伝わった神様。お供の鹿は三千年の長寿を象徴しているといわれています。
妙隆寺はかつて妙隆寺のある辺り一帯に屋敷を構えていた鎌倉幕府の有力御家人、千葉胤貞が日英上人を迎えて建立(1385年)しました。開山の日英は千葉氏ゆかりの人でした。その後1427年に妙隆寺に来た日英の甥にあたる第2祖の日親が有名です。
日蓮上人にならい『立正治国論』を著し、室町幕府6代将軍足利義教の悪政を戒め日蓮宗への改宗を訴えました。将軍の怒りを買った日英は、水、火、熱湯ぜめなどの厳しい拷問を受けるも、信心は全く揺るぐことなく、ついには言葉を奪うため舌端を切られ、焼いた鍋を被せられました。この出来事から後年、なべかむり日親と呼ばれるようになりました。日親上人は激しい修行でも知られています。本堂前には日親上人が寒百日間、水行などの修行を積んだという池が残っています。
本覚寺〜恵比寿/商売繁盛、漁業
妙隆寺を出たら小町大路を右手、大町方面へと歩くと5分ほどで本覚寺につきます。恵比寿は境内の夷堂にあります。恵比寿は七福神の中では唯一日本古来の神様。本覚寺は恵比寿様と大変縁が深く、正月の初えびすは福娘たちがお神酒などを振る舞い賑わいをみせます。
本覚寺は日蓮の遺骨が久遠寺から分骨された御分骨堂を持つ日蓮宗の由緒寺院。かつて本覚寺の山門あたりに夷堂があり、佐渡流罪から帰った日蓮がこの夷堂を拠点に説法をしたといわれ、現在は新たな夷堂が建てられています。
当時の夷堂は源頼朝が鬼門に建てた天台宗のものであり、現在は小町大路沿いの蛭子神社に合祀されています。本覚寺前の橋は夷堂にちなんで夷堂橋と呼ばれ、この橋が大町と小町の境です。
本覚寺は中興の日朝が有名なため、地元では「日朝さま」と呼ばれ親しまれています。春には桜、夏のあじさい、百日紅(サルスベリ)が見事です。
長谷寺〜大黒天/豊作、開運、財と冨
大黒天は大黒堂と宝物館の中にあり、宝物館にあるのが御本尊です。大黒天は古代インド、ヒンドゥー教の神シヴァを平安時代の高僧最澄が比叡山に台所の神として祀ったのが始まりといわれています。これが日本の恵比寿様とあわされ、他の神々も加わって江戸時代に七福神として形を整えました。
長谷寺は鎌倉を代表する名所のひとつ。山を利用して立体的に構成された境内には見所が多くあり、ハイライトは9mを超える日本最大級の木造十一面観音と四季に興を添える境内の花木。梅は境内のあちこちに咲いています。2,500株が植えられたあじさいの季節は平日でもかなり混み合います。秋の紅葉ライトアップも人気があります。寺伝によると736年、徳道上人が開いたと伝わります。
ちなみに、門前参道左手にある昭和初期の和風旅館は對僊閣(たいせんかく)といい、高浜虚子がホトトギスの句会を開き、与謝野晶子も宿泊、島崎藤村の妻も好んだ旅館(現在も営業中)。建物は鎌倉市景観重要建築物に指定されています。
御霊神社〜福禄寿/幸福、財宝、長寿
福禄寿は御霊神社本殿の右側の社に安置されています。中国が起源の福禄寿は、幸福、財宝、長寿の福神です。
御霊神社は江ノ電の線路沿いにあるこじんまりとした神社。線路沿いのあじさいと江ノ電の組み合わせはよくメディアに登場します。梅も植えられています。御霊神社は平安時代後期に創建され、湘南地域を開拓した鎌倉権五郎景政を祀ります。社務所前のタブの木は神奈川名木百選の一。
門前にある力餅家の「力餅」は本物の餅とあんこだけでこしらえてあり絶品。江戸時代から変わらぬ味といいます。朝方店の前を通ると餅米を炊く香りがたまりません。昔は本物の餅米を使ったものだけでしたが、最近は日持ちする牛皮も扱っています。
七福神について
比叡山を開いた平安時代の高僧最澄が大黒天(元はヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカラ)を台所の神として祀ったことが始まりといわれています。どのような経緯かは不明ながら、これが日本古来の恵比寿神とあわせて信仰されるようになり、その後弁財天や福禄寿、毘沙門天などが加わり七福神として信仰されるようになりました。現在の形となったのは江戸時代からといわれています。